震災から31年

阪神淡路大震災から31年、当時私は姫路から新快速で中央区の病院に勤務しており4月いっぱいで姫路に帰ってくることが確定していました。人数の都合で月に8回内科系当直内科のかかりつけ患者さんを診ないといけないできることは血液ガス血算五種心電図のみ内科は大阪から医師が来ているからCALLしてもなかなか夜に眼科患者さん最高30人ほどの受診者がいた。看護師はほとんど内科や外科の看護師なので検査も何もかも一人で行わないといけない。眼科の当直医なんていないから大阪尼崎そして加古川あたりからも来る。救急隊に告知してある。OPとなれば母校兵庫医大病院に紹介するか優しい上司を呼び出すか。急性緑内障が台風の日に来たこともあった。医師は350床外来勤務。震災前の元旦と二日は48時間当直朝9時から17時までは外科医がいたが夜は私眼科の一人、350勝ほどの総合病院。3日の朝のハレバレした開放感が忘れられない。昔は元気でした。最近は薬で弱ってしまった。そして当時は1月15日は成人の日で休み月曜日でした。そして1月16日(火)の夜は月8回していた当直でした、大変だ当直なのにイケナイと思い病院に電話をしたら一回だけつながりました。今日当直なのですが無理とだけ守衛さんに伝えました。塩釜からグループ病院の救急車が来ており避難所巡りもしました。少し落ち着いて2月の日曜日の24時間当直に日直個室でご夫婦が心中そこでマスコミがわんさかお越しになった。マスコミは心中を震災関連しとして取り上げるのに死亡確認した私を院内で追いかけまわしわたしは身を隠す羽目になった。あれから31年も生きることができました。薬で生かされているともいえる人生今また人手不足で診察そして眼科の検査💉採血もう若くないからしんどい。今日は共通テスト私のころは共通一次試験私のころは女子はみんな西高会場、男子は姫路工業大学私は自転車で行きました。聞くところによると今年は姫路の学校の生徒がかなり明石の神戸学院大学有瀬キャンパスだそうです。それこそ29年前西本隆先生の漢方の後援を聞きに当時薬学部があったありキャンパスに行きました。バスを増発しても大変だ、うちの子供たちも共通テストは有瀬キャンパスだった。姫路の高校生大変だ。明石や西明石のホテルなんてすぐにいっぱい。薬学部はポートアイランドにこれまた私が研修医としてお世話になった中央市民病院の西側に移っている。いまは何があるんだろう。そして中学受験も兵庫県は今日姫路女学院中学や東洋大姫路中学などができ選択が広がっている。合掌