四診合算は望聞問切診を指す。弁証の基本は望聞問切にある。難経六十一難には望=神技、最小限の情報で診断すること。聞=聖技、聖は神に近い存在、聞=工技医療者が聞き出す患者さんが言うのを聞くのではない、切=巧技との記載があります。望診はオーラを見るよう視覚により感じ取れるもので体全体から発するものを感じ取る。仙頭先生の診察室の額には王維の「放心望乾坤」が飾ってあるそうです。「ほうしんぼうこんけん」ホウシンは心を解き放つそして乾坤は陰陽のような意味だそうです。聞診は嗅覚・聴覚で情報を収集する方法です。問診は口と耳を使い問いかけることで日常の様々な状態を把握する。様々な情報を論理的処理をして初めて意味がある。単なる症状集めではありません。頭の中で描いているのもを確かめて推論の裏付け反証の収集です。論理的処理で役立つもの。つまり問診は頭を使う。×昇降の寄せ集めで診断する×症候これがあればこの病態という結論敵見方を確定的に扱う。切診は触覚で情報収集する。いわゆる脈診・腹診は切診です。判断材料を集めるのが四診、陰陽の視点を持つことが四診の大原則です。陰陽の2つの軸で見ることが東洋医学の本質です。固定しない陰的視点と陽的視点の2要素で把握することが大切です。当たり前のことですが陰は〇陽は◎と覚えてはいけない。交わりの少ない2軸で考える物。対象の中の2つの要素を考える。陽は気や熱、陰は血や津液。寒熱燥湿は互いに影響する。分析の視点として両者を融合する。状態の把握や病態のあぶり出しを行う。感覚を用いたアナログ的情報収集を行う。同じように脈を診ても価値観の違いがある。数値に価値を置いているのではない。知覚で情報集める。知性で論理的に分析する。現象の多幸せするでは結論が出ない。五臓の心が統括する。分析の素材を客観的な症候論に基づき理性で総括して仮定する。過程を検証するこれは主観ではない。論理だけではなく感性も求められる。感性は生まれたときには完成していません。経験の論理付けが感性を育てるものです。系統中医学は古典に帰れではなく今の時代に合うように進化している。脈を極めるのはとてもとても大変。しかし中国人中医師は長い時間脈を診ている。マスコミによってあおられている方が多いと思う、そんなに簡単に短い時間でまとめ上げるのは至難の業それこそ神業を思うのは私だけでしょうか。