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千の風になっての歌詞をもう一度考え直す

千の風になってが良い曲も歌詞も含め良い歌と思う人がほとんどです。父親の3回忌の法要が私が生まれ育った姫路市書写の寺院のトン道と庫裡の中で行われいろいろありがたいお話しいわゆる説法を聞きました。その中で千の風になってが信仰心をゆがめたというお話しつまり説法を聞きました。こんなこと製薬メーカーさんなら誹謗中傷ということになるでしょう。歌詞を効くと私は墓の中にいないというのはいかがなものか。麻原彰晃の遺骨は散骨されるそうだ、ますますお墓の持つ意味が問われる。風になってずっと飛んでいる、海の中で流れている一見素晴らしい。そしたら昔からの宗教的行事は何だったのか。最近は私が寺の副住職を務めたころとは大違いで5年先に行う法事をまとめてしてしまう。医療の世界でも応召義務を時代遅れだから廃止してはどうかという議論が起こっている。医師の研修医もみな労働者なんです。小さな私のような医療機関でも週44時間と36協定を結んで時間延長が認められる。聖路加国際病院なんて労働基準監督署が立ち入り検査に入り土曜日の外来が亡くなった。千の風になっては小学校などの音楽会でもよく歌われました。しかしこの曲の歌詞を何度も熟読してみてください。「私はお墓にはいない」「ご先祖様は風邪の中を待っている」
と私には聞こえます。だからお墓へお盆のお参りにはいかないでよいと聞こえてきます。