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虚証と実証

日本漢方には体力で実証と虚証に分ける考えがある。中医学になると虚や実は異なる。邪がはいているか或いは物質としての陰が虚しているかという世界で日本漢方と中医学は全く共通の言語を持たない。先日漢方メーカーさんがお越しの時私は日本漢方の実証だという.その理由は声が大きいとのことです。私が声がでるのは一つは意識的、二つ目は比叡山で修業したからです。比叡山での修行は現世からかけ離れたものです。トイレの便器を素手で洗う。これは医学的には間違っています。菌をもらいに行っているようなものです。お経を唱えるのに声がでていないと怒鳴られる。比叡山といえば僧兵で有名です。兵隊さんの教育のもとが僧侶です。しかし舌診や脈診をすれば私自身が中医学的虚証であることは自明である。中国人中医師にみてもらたらよくこれで飛びまわってるわねと言われました。沈細の脈でした。舌診でも舌質がうすい更に歯痕がる。歯痕は舌質に力がないことそして大きな舌質を有する必要がある。最後に今日は何の日だったでしょうとうちの妻にたづねると〇○さんが来る日あっそうだ。誕生日だ。わたしの戸籍上の誕生日です。馬に見捨てられ横浜の関内駅周辺のホテルはとれず学会行くのあきらめました。おかげでこのホームページやぶる具を含め月に7000件以上ののアクセスそしてカルテは6000冊突破静かな待たないクリニックになっていますよ。随分変わりました。漢方で治したそしてときに漢方ってこんなに聞くですかと言われことを楽しみに生きています、眼科は内科か外科か微妙な選択を迫られています。225点がつく病気がないさらには後継ぎが眼科に魅力を感じない時代を迎えています。